1990~1992 Gibson Les Paul Classic Story ~ 初期レスポールクラシックの真実
1990年からラインナップに加わったレスポールクラシックの初期型は、ヴィンテージスペックを取り入れた再生産レスポールモデルとして発売され、ヒスコレ以前のリイシュー同様のクォリティを持つ質の高さ…が魅力です。
ヴィンテージスペックの再現モデルとして、カスタムショップ製のヒストリックコレクションは1993年の後半からラインナップされますが、原点回帰のきっかけにもなったのが、このレスポールクラシックです。
1991年辺りからは、ヒストリックコレクション発売に向けて…ギブソン社は既に動き始めていました。
そもそもレスポールスタンダード( ハム仕様 )がカタログ上で正式に再生産されたのが70年代半ば。74年辺りのマホガニーネックのスタンダードに関しては、元々デラックスのオプションとして存在したデラックスwithハムの副産物と考えると、レスポールスタンダード再生産は75年のメイプルネックモデルからとも言えます。
いわゆるレスポールリイシューという事になると更に後となるLes Paul 80以降になりますし、ディーラーオーダー品であったトレーダーズやレオズなどで、ヴィンテージスペックは追求されたものの、一般的な市販品としてのリイシュー発売は1985年までズレこみました。
ただし、この時期のギブソンは低迷していました。1986年にはヘンリージャスコビッツ達に買収され、移転したばかりのナッシュビルファクトリーでの生産体制は充分とは言えない状況でした。
カラマズー工場時代の職人が大量離脱して、ヘリテイジブランドへ流れた事も影響はしたでしょう。
1986年~1988年辺りのギブソン製品は、全てがナッシュビルファクトリーで生産されたものなのか?…それすら今となっては闇の中ですし…ギブソン社にとってもトップシークレットな部分もあったと想像します。
確かな事は、製造技術も優れていた日本のメーカーともコンタクトを取り始め、日本製のレスポールコピーモデルもだいぶ研究した…事だと思います。
その取り組みの一つがOrville by Gibsonブランドを89年にスタートさせていることに繋がります。
TokaiやGrecoなどの国産メーカーは、それ以前に訴訟沙汰になっていましたが…80年代後半のギブソン社は、体制も変わった事で日本製レスポールコピーを研究する為に、市場にあるユーズドを買い付けていた…とすら噂されていました。
( グレコのスーパーリアルのヘッド形状と初期レスポールクラシックを見比べていただけると…あながち噂話しとは思えません。)
そんな中、発売されたレスポールクラシックの初期型はプレーントップながら、ヘッドシェイプも見直され、再生産レスポールスタンダードに採用され続けたナッシュビルブリッジを廃止して、ABR-1タイプに変更。ニッケルパーツへとドレスアップされ、レスポールスタンダードより高い定価設定でデビューします。
上記画像は左手が当店売却済みの91年製。右手はネットからの拾い画像にはなりますが90年のクラシックです。
注目して頂きたいのは、16フレットでのボディとの結合部分です。
トグルスイッチのあるボディ向かって左側からのボディカーブは、ネックの16フレット部とほぼ同じ位置でジョイントされています。
下記画像はいずれもネットからの拾い画像ですが、1988年と1989年のフレイムトップのレスポールリイシューです。
16フレット部へかかるボディカーブとジョイント位置がレスポールクラシック初期型と同じであることが確認出来ると思います。
この時期のレスポールリイシューは、レギュラーラインナップとしての発売であり、初期レスポールクラシックは、リイシューボディを流用している…と言われていた部分は間違いではありません。
1990年の段階では、フレイムトップモデルをレスポールクラシックとして発売するつもりがなかったので、フレイムトップを貼るモデルはリイシューとして発売していました。
クラシックとリイシューでは、定価も約倍くらいの差がありました。
前述した部分に話しを戻しますが…1991年には、ヒストリックコレクションのプランが既に動き始めますが、業績が上向いていた事にも起因しています。
ガンズアンドローゼズの世界的な大ブレイクによるSLASHの登場は、名門ギブソン復活に向けて…時代すらも後押ししてくれていました。
「 トラ目のレスポールは売れる…ハイプライスなリイシューモデル一択にするよりも段階的なグレードを付ければ、より広い層のユーザーがギブソン製品を買うはずだ… 」
おそらく、ギブソン社はこんな発想を持っていたのではないでしょうか?
1991年、フラッグシップモデルとなるヒストリックコレクションのプロダクトとは別に、既に好評価を得ていたレスポールクラシックにもフレイムトップモデルをラインナップするべく動き始めます。
実際、91年のファーストプロダクトのレスポールクラシックプラスと、同じくスリムネックの1960レスポールリイシューを差別化するのは難しかったと思います。
( 59リイシューはグリップで識別出来ますが…)
販売店となるディーラーも混乱しましたし、レスポールクラシックプラスくらいの価格設定なら、より高いセールスを上げるであろう事はメーカー側もディーラー側も容易に想像出来たからです。
次に下記画像をご覧ください。
向かって左手はショップオーナー所有物。向かって右手が1992年製のレスポールクラシックプラスとして近日入荷予定の個体です。
( 画像右手は92年にはレスポールクラシックプラスしかなかった為、キャビティ内にはプラス表記しかされていませんが、ピックガード穴も開いていないので、翌93年のカタログに登場するプレミアムプラスのファーストロットでしょう。)
先ほどと同じく、この2本のジョイント位置を見ていただくと…90年のクラシックや89年のリイシューと、ジョイント位置が違うのがお分かり頂けると思います。
16フレットからほぼ直線上の位置でジョイントされていた部分が、フレット一個分くらい17フレット寄りにズレているのです。
アップ画像にすると分かりやすくなりますが、下記が91年クラシックのジョイント位置。
更に下記画像はショップオーナー所有物の1992年製 60リイシューのジョイント位置です。
フレット一個分ほど、17フレット寄りにズレているのが確認出来ると思います。
何故こうなったのか???
この点が実は今回のコラム、「 レスポールクラシックの真実 」の中での重要な部分なのです。
次に入荷予定の92年製レスポールクラシックプレミアムプラスのキャビティ内をご覧ください。注目すべきはフロントのキャビティです。
後からキャビティ内の表記を塗りつぶしているのが確認出来ます。この雑さもアメリカンだなぁ…と捉えるよりも…後述致しますが「正直な話し」時間がなかったのでしょう。
以下の画像は、ebayで過去に販売されていた90年のレスポールリイシューのキャビティ内ですが、全く同じ表記を雑な手法で塗りつぶされています。更にこの90年製レスポールリイシューには別の部分にDemo表記まであります。
この事から見えて来る事…それはどういうことが想像出来るでしょうか?
アメリカの文献にたどり着くとこんな表記がありました。
「 1992年製のレスポールクラシックプラスはフレイムトップリイシューのボディにスリムネックを結合している 」
この文献を裏付けるかのように、1991年~1992年製のレスポールクラシックプラスとレスポール60リイシューは、最終工程の僅かな差( ピックアップがカバードの57クラシックで、ピックガード付きはリイシュー。ピックアップがオープンの496&500ならクラシックプラス …)だけで、別モデルになっていた…と考えて良いでしょう。
ディーラー側からすれば、プレーントップよりはフレイムトップのクラシックプラスの方がアップチャージはされたものの、リイシューほどハイプライスではないので、売りやすい…
更にはギブソン社からしてみれば、トップオブラインのヒストリックコレクションのプロダクトも煮詰まって来た…
いよいよレスポールリイシューにもヴィンテージ同様のディープジョイントを採用する。レギュラーラインナップではなく、カスタムショップラインとして発売するのだから、それまでのリイシューボディは使い切らなくてはならない…
こんな事情がプレヒストリック直前にあったから…と結論付けると、話しの辻褄も合いますし、松本清張的な表現を借用するなら「 点と線 」は繋がります。
キャビティ内の表記を塗りつぶしていたりするのも、最終工程直前まで60リイシューとして出荷するのか、レスポールクラシックプラスとして出荷するのか?が明確ではなかったので、それが確定した段階で、リアキャビティにCLASSIC PLUS印を押したのでしょう。
それを裏付けるもう一つの個体がオーナー所有物の92年製です。この個体のキャビティ内にはR6( ヒストリックコレクション以後は56リイシューにあてられますが、この時点では60リイシューがR6 )表記があります。
リイシューからヒストリックコレクションへの過渡期となる僅かな期間にだけ存在するレスポールクラシック初期モデルが、いかにお値打ちだったか?がここまで来るとご納得頂けるのではないでしょうか?
こういう部分が、初期クラシックを高く評価する、通なレスポーラーに支持されているのだと思います。
日本円換算の定価レベルで60万近かったリイシューに対して、35万円ほどだったレスポールクラシックプラス。更には92年にはファーストロットのプレミアムプラスや、デモ機扱いだったりNot Resale 扱いだった個体まで存在する、イレギュラー個体の宝庫とも言えるお宝年度である…と思っています。
実際にプレヒストリックも、当時の材の良さなどが評価されて、アメリカでも相場は上がり続けています。
低迷時期でもあり、様々な諸事情を抱えて身売りし、新体制の経営陣となった85年以降のリイシューよりも、SLASHの登場で、追い風が吹き…本気で名門ギブソン復活に向けて動いていたヒストリックコレクション直前時期。
どちらを支持するかは、人それぞれの思い入れや好みもありますので、優越を語ろうとは思いませんが…
少なくとも当店では、かなり以前から初期レスポールクラシックはプレーントップであろうとも、安い値付けはして来ませんでした。中にはハカランダ指板のモノまで存在すると主張する人もいるくらいです…
2017年…ついにローズウッド全般にワシントン条約の規制がかかりました。
近い将来、グラナディロ指板が当たり前なギブソンレスポールになるかもしれない…
そう考えた時…
「 ユーズドのレスポールクラシックプラスにそんな値段は高いよ?それならプレーンの58ヒストリック買うし?」
っていうご意見も当然あるでしょうし、そういう方は、ヒストリックコレクションやリイシューと名の付いている物を購入するしかないと思いますから、そういうご意見を頂いても否定はしません。
1992年製のレスポール60リイシューは、アメリカのebayでは約60万でも売れてしまいますし、60リイシューにレア!と表記されている理由も、このコラムをここまで読んで頂ければ想像が付くのではないでしょうか?
ハイプライスな60リイシューを出荷するよりも、ヒストリックコレクションに移行する為に、リイシューボディを早く使い切らなくてはならなかったギブソンサイドが、売れ筋だったクラシックプラスとして出荷したから、60リイシューがレアなだけだと思います。
ちなみに93年初期なら、まだ92年製同様なリイシューボディ流用も存在する筈ですが…少なくともLes Paul Model ロゴが、Les Paul Classicロゴになった時点では、最初からレスポールクラシックプラスかレスポールクラシックを製造する為の、木材選定がされていたと思います。実際にリイシューボディ流用時期とは、微妙な構造の変化もあるので…
Les Paul Classic表記の93年以降は、レスポールクラシックプラスの定価で出荷しても採算が取れる製品になったのだと思います。
拘る人は「ギブソン社が本気で取り組んだヒストリックコレクションに、それなりのお金を払って下さい。」
「とりあえずトラ目のギブソンレスポールで良いなら、クラシックプラスを買って下さい。」
93年以降のギブソン社の本音はこんな所だったのではないでしょうか?
初期レスポールクラシック…
サウンドも材も塗料も…非常にオススメしたい年代です。
当店では92年製のプラスやプレミアムプラスは25万円以上の販売価格を設定致しますし、60リイシューなら35万円近い価格を設定致しますが…それでもアメリカの相場より遥かにお買い得な筈ですから…分かる人にだけ分かって頂ければ、価値あるモデルかと思います。
そもそも、いくらシェイプなどを参考にした…とは言え、最近ではグレコのスーパーリアルの上位機種であれば25万円以上は当たり前、30万近くでも売れているのに、本家のこの時期のレスポールクラシック初期モデルの売価設定が高い…とは思いません。
特にクラシックプラスやプレミアムプラスのこの時期は、ピックアップを57クラシック初期に載せ替えて、トラスロッドカバーを交換、プレミアムプラスならピックガードさえマウントすれば…同年の1960リイシューと同じギターになると言っても過言ではないと思うからです。
もし、市場にこの時期のレスポールクラシックの販売品を見かけたならば…「 迷わず買い!」だと思います。